大人ってなんだろう?(『葬送のフリーレン』を見て)
大人ってなんだろう?
誰もが一度は考える疑問の一つではないだろうか?かくいう私も例に漏れず、25歳になった今でも大人って何なんだろう?自分は大人になれているだろうか?などと日々疑問に思うことが多い。
今日は1月8日。成人式だ。街を歩くと晴れ着姿の新成人が歩いており、非常に微笑ましい。そんな新成人にとっての特別な日に、『葬送のフリーレン』公式がX(旧twitter)で「#成人の日」を付けた上でこんなポストをしていた。一度アニメで見ていたものの、再度読み返してみると、改めてすごくいいシーンだと思い、投稿を決意。(フェルンとシュタルクの掛け合いが非常に尊いという話もしたいところだが、本筋とそれるので今回は触れない。)
理想の大人
この作品では、「理想の大人」とは何なのか、ということに対し次のようなことが言われている。
昔と違い大人っぽくなった、とフリーレンに言われた後、ハイターが下記のように言った。
年を取ると自然とこうなるんですよ。
…と言いたいところですが、本当は私の心は子供の頃からほとんど変わっていません。理想の大人を目指して大人の振りをしてそれを積み重ねてきただけです。
きっと私は死ぬまで大人の振りを続けるでしょう。
子供にはこころの支えになる大人の存在が必要ですから。
『葬送のフリーレン』 第29話 理想の大人 より
この後、フリーレンが老人ハイターの頭を撫でる。まるで子供を褒めるかのように。
このシーンを見たとき、とてもいいシーンだと思った。と同時に少しホッとした自分もいた。なぜなら、精神年齢が低い自分に最近焦りを感じていたからだ。
自分は大人になっているだろうか?何度も自分に問いかける機会があった。しかし、毎回その答えはノーだった。未だに自己中心的に動いてしまうことが多いし、子供の頃好きだったものは今でも好きだ。何なら小学生の頃みんな好きだったであろう、うんち!とか、おしり!とかそういった低レベルな下ネタに対しては今でも笑ってしまう。不可抗力だ。
年上だけでなく同級生や後輩にも精神年齢の低さに劣等感を感じる機会が増えた。私くらいの年になると、早い人だと結婚したり、昇進して重要なポジションについたりと社会的地位を築き始める頃だ。そういった、所謂社会的にうまくいっている人たちの話を聞くと、到底私にはたどり着けないような物事の捉え方をしていたり人生観を持っていたりする。そういった話を聞く度、私は心の中で白旗を上げていた。
私の精神年齢は、今後も10代前半あたりで止まったままだと思う。しかし、理想の大人の振りをすることはできる。偉そうにしているあの人も、自分が尊敬しているあの人も、実は心は子供のままで、ただ演じているだけ、と考えると少し生きるのが楽になる気がする…
今まで精神が子供のままで劣等感に苛まれていたが、今後もいつも通り自分らしく、仕事などピリッとした場面は少しだけ背伸びをして堂々と生きていきたいと思えた。